東京大学大学院総合文化研究科
広域科学専攻
生命環境科学系 広域システム科学系 相関基礎科学系

コンピュータシミュレーションで探る身体運動のメカニズム

生命環境科学系 深代 千之

立つ・歩くといった日常動作から競技スポーツのダイナミックな動作まで,身体運動の成り立ちを,力学的メカニズムの視点から研究する分野を「身体運動のバイオメカニクス」といい,研究方法は,主にインバースおよびフォワードダイナミクスによる.インバースダイナミクスは,ビデオやフィルム撮影およびモーションキャプチャなどから得られる物体の動きの情報から,働いている力をシミュレーションする方法で,優れたスポーツ選手の動作を客観的に同定する動作分析の一般的手法として広く行われている.一方,フォワードダイナミクスは,現実の物理現象を支配する法則を微分方程式で表現し,その式を数値計算の手法を用い積分して解く事で,コンピュータ内の仮想空間にその物理現象を再現する.通常,数値計算において微分方程式からの積分計算は計算量の多いアルゴリズム(ルンゲクッタ法,予測子修正子法等)を用いる事になるため,コンピュータにとって非常に負荷の重い計算になるが,動作解析では知りえない情報を予測できるという利点がある.我々の研究室では,両手法を用いて身体運動のメカニズムを研究しているが,本稿では,主にフォワードダイナミクスコンピュータシミュレーションについて紹介したい.

筋と腱のシミュレーション

我々は,まず1個の筋に注目し,Hillタイプの「筋腱複合体(Muscle-Tendon Complex:MTC)」モデルを,収縮要素の筋と直列弾性要素の腱からなるユニットとして,コンピュータ内に作成した(図1).そして,MTCモデルの起始部を重力場のある一点に固定し,もう一方の停止部にとりつけたフレームに様々な質量の物体を乗せる.モデル全長を一定に固定し,筋を100%で活動させると,筋が短縮し,腱が伸張される.その後,錘を乗せたフレームを急速解放させるとモデルは錘を上方へ推進させる.このシステムにおいて,腱と筋の長さ比/物体の質量/筋の初期長を変化させ,各要素の機械的仕事を様々な条件で比較してみると,質量が小さい時には腱が長いと大きな仕事が発揮され,質量が大きいと長い筋(短い腱)で高い成果が得られる.これは,身体各部に配置された筋と腱の機能解剖学的特徴を考慮した時,筋腱複合体の能力が効果的に発揮されるように,それらをうまく身体に配置してヒトは進化してきたという事がわかる.すなわち,身体の中枢にある大殿筋などは筋束が比較的長く(筋長83%,腱長17%)重い負荷(脚全体)に対して大きな仕事を行う事ができ,逆に末端の下腿三頭筋などは長いアキレス腱(筋長17%,腱長83%)をもつため軽い負荷(足部のみ)で大きな仕事を行い得るのである.

図1 筋腱複合体のHillタイプモデル

同様のHillタイプモデルをヒラメ筋として下腿と足関節部の骨格系モデルにとりつけ,モーメントアームを変化させて,足底屈をシミュレーションしてみると,遅い足底屈ではモーメントアームが長い方が,速い足底屈ではモーメントアームが短い方が大きな力学的出力(足底屈トルクやパワー)を発揮する.これは,細身の運動選手が素早い動作で優れたパフォーマンスを発揮するという現象を論理的に説明する.バレーボールのアタックで細身の選手が高く跳べる事や,陸上競技の中・長距離の黒人選手の下腿が棒のように細い事は理にかなっているのである.さらに,このMTCモデルを用いて,反動の有無,筋束長と筋の生理学的断面積の関係が力学的出力に及ぼす影響などについて計算し,興味深い知見を得ている.

古代人アウストラロピテクス"Lucy"を歩かせる!

次に,我々は,このMTCモデル数十個を,自由度20の人体骨格モデルに取り付けて,神経入力を調節する事により,垂直跳や歩行といった身体運動を3次元でシミュレーションしている.興味深い例として,現代に生息しない古代人のシミュレーション研究を紹介しよう(図2).約300万年前頃,アウストラロピテクス・アファレンシスという種の猿人が地球上に生息していた.A・アファレンシスの骨格の化石の中でも,"Lucy"と呼ばれる化石は,特に良好な保存状態で発見された.その骨格の特徴から,A・アファレンシスが二足歩行を行っていた事は,多くの研究者が認めているが,その二足歩行の形態が現代人の様な直立歩行であったのか,それともチンパンジーの様な股関節や膝関節が常に屈曲した状態での歩行であったのか議論が別れている.そこで,Lucyの骨格を元に,3次元の神経筋骨格モデル(セグメント9個,筋52個,関節10個)を構築し,最適化計算を行いコンピュータ内でA・アファレンシスの歩行を再現した.その結果,A・アファレンシスは現代のヒトに類似した歩行を行っていた事が示唆された.しかし,大人のヒトより歩行の体重あたりのエネルギー消費が大きく,そのエネルギー消費それ自体はヒトの8歳から9歳程度の子供と同程度である事がわかった.

図2 アウストラロピテクス・アファレンシス:Lucyの化石と52個の筋腱複合体をとりつけたモデル

一方,同種の神経筋骨格モデルを現代人に当てはめて,垂直跳びと立幅跳びをシミュレーション比較した研究では,下肢3関節の二関節筋による運動方向の調節が認められ,これは我々のインバースダイナミクスによる実験研究の結果と合致した.また,垂直跳びの3次元シミュレーションは,2次元シミュレーションだけでは評価できない立体的に働く下肢筋の働きを同定した.このフォワードシミュレーションはTVゲームやバーチャルのCGとは似て非なるものであり,ヒトの運動を実質的に再現できる.この分野を発展させていけば,オリンピックに代表される競技スポーツのパフォーマンス向上に大きく貢献できる可能性をもっている(図3).

図3 インバースダイナミクスによる競技選手の動作解析の様子

どのくらいの下肢筋力で椅子から立ち上がれるか?

歩行や跳躍などのメカニズム解析と並行して,健康という観点からもシミュレーション研究を進めている.高齢者のQOL(Quality of Life)として,どの程度の筋力があれば椅子からの立ち上がりができるか,つまり日常生活に必要最小限の筋力や関節トルクを見積もっている.その方法は,まず数名の成人男性の椅子立ち上がり動作(85試行)について,光学式モーションキャプチャシステムを用いて,下肢3関節の時系列の角度データを得る.その一方で,4つのセグメントと3つの関節から構成される3自由度のヒト2次元リンクセグメントモデルを構築する.そして,実験的に取得した関節角度データとヒト2次元リンクセグメントモデルを組み合わせてシミュレーションを行い,成功試技16万試行の椅子立ち上がり動作を生成した.その結果,ヒトが立ち上がるためには,股関節と膝関節のピークトルクの和が1.53 Nm/kg以上必要である事が結論できた.また,感覚を基にした身体技法で推奨されている‘楽な’立ち上がり方は膝関節トルクが最小の動作であった.さらに,各関節トルクを最小にする個々の筋張力も推定したところ,筋群間で相補的な関係があり,椅子から立ち上がるためには健常人の1/3程度の総筋力が必要である事もわかった(図4).

図4 椅子立ち上がり動作の筋骨格モデル

今後の身体運動のコンピュータシミュレーションは,これまでと同様に自由度,複雑さを増すという方向と,個人にカスタマイズしたモデルの構築の方向という二つが考えられる.後者の個人にカスタマイズしたモデルの構築の方向には,まだ多くの大きな障害があり,それは,如何にして個人の組織,器官の正確な特性に関するデータを取得するのかという事である.この点は,計測工学・生理学・医工学等といった隣接する科学領域の発展に大きく依存しており,各分野での発展と我々のシミュレーション研究との広域科学的な融合・共存が期待されている.

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