東京大学大学院総合文化研究科
広域科学専攻
生命環境科学系 広域システム科学系 相関基礎科学系

素粒子論のフロンティア

相関基礎科学系 加藤 光裕

2008年ノーベル物理学賞

2008年は,日本の基礎科学にとって,嬉しいニュースにわいた年であった.南部陽一郎,小林誠,益川敏英の3氏がノーベル物理学賞を同時受賞,さらにノーベル化学賞も下村脩氏が受賞と,一挙に4人もの日本人がノーベル賞を受賞するという快挙だったからだ.物理学賞に関していえば,これで日本の受賞者は7人になったが,この中で江崎玲於奈氏を除く6人は素粒子物理学の分野から,さらに素粒子実験の小柴昌俊氏以外の5人が素粒子理論の研究者であり,まさに素粒子論は日本のお家芸ともいえる得意分野である.

現在までのところ,実験で観測される素粒子の現象は,標準模型と呼ばれる理論体系で,大部分が説明できる.その標準模型のいたるところで重要な役割を担っているのが,対称性の自発的破れという機構である.これは,南部氏の1960年頃の研究から発展したものである.

対称性の自発的破れとは,系を記述するハミルトニアンには対称性があるのだが,基底状態つまり最低エネルギー状態(場の量子論では真空と呼ぶ)が,対称性を持たないような場合を指す.例えば,ワイン瓶の底のような形をしたポテンシャルを考えると,瓶底の一番深いところは,円状になっている.この形は軸対称性を持つ.しかし,真空はその円周上のどこか一点を選ぶため,真空自体は対称性を持たない.これが自発的破れである.真空状態の場にちょっとした擾乱を与えると,それは空間を伝わって行くが,この波の量子が粒子として観測される.今の場合,ワイン瓶の底に沿った方向への擾乱は,質量のない粒子となって現れる.これは,連続的な対称性が自発的に破れた場合に,質量もスピンも持たない粒子が出現するという,南部−ゴールドストーンの定理の一例になっている.

標準模型からその先へ

標準模型では,粒子間に力を伝えるのは,ゲージ粒子である.光の量子つまり光子は電磁気力を伝えるゲージ粒子のひとつだ.標準模型では,自然界の4つの力のうち,重力を除く3つの力,つまり,強い力,電磁気力,弱い力の3種類をそれぞれ対応するゲージ粒子を使って説明する.このうち,弱い力を伝えるZやWなどのゲージ粒子は,質量を持つ.同じゲージ粒子でも電磁気力を伝える光子や強い力を伝えるグルーオンは,質量を持たない.この違いも実は,ゲージ対称性の自発的破れという機構によって説明されるのである.このように,対称性の破れは,標準模型に欠く事のできない重要な絡繰りなのである(図1).

図1

一方,小林−益川理論は,標準模型がCP対称性の破れを説明するために必要な機構を明らかにした.CP対称性とは,簡単に言えば粒子と反粒子の間の対称性である.素粒子の世界では,CP対称性はわずかに破れている.それを説明できるような構造が標準模型に入るためには,クォークが3世代(6種類)以上必要であることを彼らは示したのである.当時まだクォークは3種類しか見つかっておらず,極めて時代を先んじていた.このCP対称性の破れは,我々の宇宙にはなぜ反物質がほとんどないのかを説明するためにも重要である.

標準模型の中で,まだ見つかっていない唯一の粒子はヒッグス粒子である.現在ジュネーヴ郊外のCERNという研究所では,全周27 kmもある円形の大型ハドロン衝突型加速器(LHC)による実験が進められているが,その目標の一つがヒッグス粒子の発見である.LHCでは,標準模型の検証以外にも,標準模型を超える新しい物理の発見も目指している.標準模型には理論的に不満足な部分もあり,それを解決するためにいくつかの可能性が提案されている.そのひとつは,超対称性である.これはボーズ−アインシュタイン統計に従うボゾンとフェルミ−ディラック統計に従うフェルミオンを入れ替える変換のもとでの対称性であり,現在見つかっている素粒子のそれぞれに統計性が逆の「相棒粒子」の存在を予言する.また,極めてミクロなスケールでは空間の次元が3次元よりも大きいと仮定する余剰次元模型も提案されている.

超弦理論 − 究極の理論へ

前述の超対称性や余剰次元といった特徴を持ち,かつ標準模型を包括する統一理論の候補はいくつかあるが,その中でも超弦理論は,他の点粒子描像にもとづく場の理論の模型とは決定的に違う特徴,つまり重力をも統一するという点で際立っている.超弦理論は,粒子を0次元的な点状のものではなく,1次元的な弦状のものとしてとらえる.点粒子の場合は粒子の種類ごとに違った場を導入する必要があったが,弦理論では弦の振動状態の違いであらゆる粒子の種類を表すことができ,その意味で究極の統一理論である.

弦には輪ゴムのように端のない「閉じた弦」と,靴紐のように端を持つ「開いた弦」がある.開いた弦からはゲージ粒子が,閉じた弦からは重力子が量子力学的に極めて自然に現れるのである.しかも弦の広がりのために,点粒子の場の理論で現れたような発散がなく,重力の量子論を問題を起こすこと無く記述することに成功しているのだ.このように,超弦理論は素粒子の統一理論を与えると同時に重力の量子論をも与えてくれる,いわばオールマイティの究極の理論と期待されている.

弦によって記述されていることから,従来の理論では思いもよらない帰結を得ることもできる.開いた弦が時空内をぐるっと回って元の位置に戻るような図形を考えると,底面の無い筒状の図形ができる(図2).開いた弦の生成消滅の量子力学的過程を考えるとこのような図形による1ループ散乱振幅を計算する必要がある.一方,同じ図形を底面の方から眺めると,輪になっていることから,閉じた弦が作られて時空を進んだ後消える過程とも関係していることがわかる.そこで,適当な状況を作ってやれば,ゲージ粒子の理論と重力理論あるいは弦理論自身との間に関係を付けることができると予想される.これは,AdS/CFT対応と呼ばれる予想として詳しく調べられており,それ自体興味深いのみならず,この予想が成り立つと仮定することで様々な応用がなされ,クォーク−グルーオンプラズマの性質やハドロンのスペクトラムなどに対し興味深い結果が得られている.

図2

駒場では

駒場素粒子論研究室では,AdS/CFT対応,超弦の共変量子化,Dブレインの力学,弦の場の理論など,多方面から弦理論の研究を推進し多くの成果をあげてきた.弦理論研究においては世界的にみても強力な研究室のひとつと自負している.博士号を取得して巣立っていった大学院生の中からは,現在国内外において第一線で活躍している研究者を多く輩出している.また,研究室では弦理論以外にも主に非摂動的な側面を中心にした場の理論の研究も幅広く行っており,特に最近では20年来の難問である超対称ゲージ理論の格子上での定式化に果敢に取り組み成果を蓄積している.今後も新しく入ってくる大学院生も含め研究室から次の突破口を切り開く若者が出てくることを期待している.

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