東京大学大学院総合文化研究科
広域科学専攻
生命環境科学系 広域システム科学系 相関基礎科学系

止まっている物がなぜ動くのか

生命環境科学系 村上 郁也

心理物理学

気分転換にと当て所なくキャンパスをめぐり歩く.顔を上げれば眼前にひらける銀杏並木.──この悠然平らかに横たわる学内の風景を楽しみつつしばし散歩を続ける私の脳内で,その視覚世界を実現するために,精妙極まりない計算過程が今現在もオンライン演算を続けているとは,なんと不思議なことか.

というのも,視覚入力は眼に入る.その眼は常に動いていて止まることを知らない.眼を載せた頭も動き,頭を載せた身体も動く.ということは,眼に入力された網膜像は,観察者自身の動きにつられて,ぶるぶるびゅんびゅんと常に動き,流れ,更新され続けている二次元画像だということになる.

そこからスタートして脳内で情報処理が進んでいき,なぜか知らないが最終的には,見た感じ完全に静止した学内の風景を楽しむ自分がいる.網膜像運動にまみれた入力から最終的に安定的視野を出力するということは,何か非常に頭のいいことを脳がやっているらしい.目の前の世界は目の前にあるものそのものではなく──脳が合成した産物なのだ.

視覚情報処理とは,このように本人の知らないところで今も動き続ける脳の仕組みのひとつに他ならない.それを外から解明するのが視覚の心理物理学である.

外から,というのは,中で現実に起こっている神経活動や分子メカニズムを実際に測定することなしに,という意味だ.見える見えないを観察者が自ら報告したものを,実験データとして用いて,そこから中の様子を推定していこうというやりかたである.要するに,視力検査表を読ませて眼の屈折を推定するようなものと思えばいい.外から検査してやることで,脳内活動を直接みても難しいことが,比較的簡明に理解できる場合がたくさんある.

当研究室ではこのように,視覚刺激を呈示してそれに対する被験者の自覚的な反応を記録する実験試行を重ねることにより,何らかの独立変数に依存して知覚がどのように変わるかを測定している.ごく最近の興味のひとつは,静止しているのに動いて見える錯視現象である.

静止画が動いて見える

図1は『蛇の回転』と題された錯視デザインである.立命館大学の北岡明佳教授が作った.実は2005年夏に駒場博物館で『錯覚展』というイベントを開いたとき,彼の錯視デザインを二十数点出展して大変な好評を博したのだが,その作品のひとつを単純化したものがこれだ.何となく目をそらせてぼんやりと眺めると,円形領域がゆっくり回転して見える.紙に印刷された図形が動いて見えるのだから,これは正真正銘の錯視だ.

図1 『蛇の回転』錯視デザインの一部 ((C) A. Kitaoka 2003)

この現象を解明しようと思っている.

まず,錯視を定量化しなければならない.研究対象を量として扱えることが実証科学には必要不可欠だからだ.そこで,回転して見える錯視の向きと反対回りに物理的に図形を回転させて,錯視をちょうどキャンセルして見かけ上止まって見えるポイントを求めた.これを相殺速度と名づける.錯視が強く生じるほど,それをキャンセルするために必要な相殺速度も速くなければならない,というロジックで,つまりは錯視の強さの尺度として使おうという手法である.

これを何人かの被験者で求めてみると,相殺速度は確かに得られた.が,人によってデータの大きさはまちまち.この錯視現象の個人差はどこから来るのか.

実験中はコンピュータ画面中央に置いた点をじっと見つめてもらっており,その様子をアイトラッカー装置によりモニターしていたので,そのときの眼球運動データがある.一点を見つめているときにも「固視微動」と呼ばれる不随意眼球運動は常に生じている.その速度ヒストグラムの標準偏差を計算して,固視微動量とした.固視微動量を横軸に,錯視の相殺速度を縦軸にして被験者間の散布図を描くと,相関係数 r = 0.57 (p < 0.05) となった (図2).いうなれば,眼が揺れる人ほど錯視が強い,そういう傾向がみられたということである.

図2 固視微動量と相殺速度の被験者間相関図 (Vision Research 46, 2425, (C)(2006) より Elsevier の許諾を得て転載)

眼が揺れるとは網膜像が揺れるということだから,それだったら図形そのものを揺らしたらどうなるのか.コンピュータ画面上に描いた錯視図形を,あたかも固視微動のようにランダムな速度で揺らし,その揺らす量を変えてやりながら,同一被験者で繰り返し実験してみた.

その結果,画面上の揺れ量を大きくするほど,相殺速度が速くなった (図3).同じ被験者でも揺れの大きさに依存して錯視量が変わるということから,相関関係より強い因果関係が見いだされたことになる.

図3 画面上の揺れ量にしたがって変化する相殺速度 (Vision Research 46, 2426, (C) (2006) より Elsevier の許諾を得て転載)

ではどうして,錯視図形の網膜像が揺れると,円形領域が回転して見えるのか.自動車にたとえれば,エンジンの振動を車軸の回転に伝えるトランスミッションの部分,これがどうなっているか,解明したい.他大学の研究者と共同研究中なのだが,本質的には,視覚神経系の初期段階における応答の何らかの時間特性がかかわっているのではないかと考えている. ここに来て若干歯切れが悪くなったのは,理論の説明のためにはどうしても煩雑な詳細が必要になるからだが,ここでは省こう.網膜像を入力すると,どこがどのくらいの速さで動いているかという視覚運動信号を出力する,そういう計算モデルがある.運動検出装置と考えよう.そこに,網膜像をランダムに揺らして入力してやると,一般的には当然,出力される運動信号も正しく揺れている.ところが,『蛇の回転』のような特殊な光強度分布をもつ図形を作って,揺らしながら入力すると,特定方向の運動成分だけが強く出力されることが示された.運動検出装置が処理を誤って,図形が一方向に動いていると勘違いするわけである.

固視微動を克服して安定視野を得る

錯視図形を揺らすと特定の運動だけが出力されることは,今はこれでいいとしよう.だがひとつ前の説明では,ふつうの図形を揺らすと出力信号も揺れていると述べた.さて,固視微動は常に生じている.とすれば,日常生活において,『蛇の回転』錯視図形でないふつうのものを観察すると,揺れて見えるはずではないか.事実,動物の視覚神経細胞からの記録では,固視微動に伴って神経活動が変化するのがみられる.網膜像が揺れていると,脳内でも揺れているのだ.ではどうして,私たちは安定した静かな視野を楽しむことができるのだろうか.

それはそもそも,運動を知覚するとはどういうことか,という問題に他ならない.固視微動に伴って,網膜上で像は確かに揺れている.脳もその揺れを確かに感じている.しかし,それを知覚にのぼらせてはいけない.私たちの視覚系のミッションは,私たちをとりまく世界がどのようにあるだろうか,ということを推定して私たちの意識にのぼらせることである.眼がどのように揺れているかは関係ない.

だとすると,何をもって静止とみなすか,判断が必要になってくる.私たちの視覚系はおそらく,世界というものはたいてい静止しているものである,というように,世の中の物事の確率をあらかじめ承知しているのだろう.だから眼が多少揺れていても,それに伴う網膜像の揺れを世界のせいにはせず,眼のせいにする.物体間の相対運動などの特別な手がかりがあるときにはじめて,世界の中で物が動いているとみなす.

したがって,静止した風景を眺めている場合,像の中では物みないっしょに揺れるので,それは眼が動いているせいだということになる.ところが『蛇の回転』の錯視図形は,本当は静止しているのだが,先に述べた理屈で周囲の静止物体とは異なる動きをしているかのように,脳は感じてしまう.そうすると,ああそうか,相対運動の手がかりがあるのだからこの物体は世界の中で動いているのだな,と脳は勘違いしてしまう.ゆえに,錯視は回る.

錯視の科学

今回のトピックは,その主張がどこまで正しいかは措くとして,錯視現象というものから脳のメカニズムを考えていく実験方法論の典型例にあてはまる.

脳は複雑な機械であるから,その動作の様子を巨視的・微視的なさまざまな視点から調べていく必要がある.調べるというからには,日常的に動作する様子を漫然と眺めていても仕方がなく,効果的な方法を使わなくてはならない.異常信号をわざと入力して火災警報システムの動作チェックをするように,またコンピュータ・プログラムのデバッグをする目的であえて通常ありえないデータ形式の入力ファイルを喰わせてみるように,何か細工したものを脳に入れてみる.そうすると,何かがおかしい,変な感じに見えた.それが錯視図形であり,錯視現象であって,すなわち脳のミステリへのヒントである.そのヒントから地道に証拠固めをするために,暗室にこもり繰り返し心理物理実験をする.

こうして脳科学に有意な貢献をしつつ,またそれゆえに,古今おびただしい錯視図形が現場で作られ,また作られ続けているのである.

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