東京大学大学院総合文化研究科
広域科学専攻
生命環境科学系 広域システム科学系 相関基礎科学系

第一高等学校旧蔵の実験機器から眺める科学の歴史

相関基礎科学系 岡本拓司

一高実験機器の特徴

東京大学の駒場Iキャンパスの自然科学博物館には,旧制の第一高等学校(一高)時代に購入され,教育・研究に使用された実験機器が70点ほど残されている.これらの機器は,2004年11月1日から12月17日にかけて開催された「第一高等学校創立130周年記念 駒場の歴史展」への出展に向けて調査・整理・清掃された.筆者は数名の大学院生とともにこの作業にあたったが,調査の結果,残された機器は世界的にみても貴重であり,科学史の研究方法にも重要な示唆を与えるものであると考えるようになった.

旧制高校の実験機器としては,第三高等学校(三高,京都),第四高等学校(四高,金沢)のものがよく調査されており,それぞれ数百点から千点ほどが保全・管理されている.一高旧蔵実験機器は,これらに比べれば数は少なく,保存状態も悪い.大半のものは壊れているか部品が欠けている.また,三高の場合には物品管理用の台帳類から,個々の機器の入手の経緯等が明らかにできるが,一高の機器に関しては手がかりとなる書類のほとんどは失われている.しかし,器物資料の強みは,それ自体に,用途・機構,それ以外のデザイン,製造者・製造地・製造年の刻印など,様々な情報が含まれている点である.筆者らは,それらをもとに,一高の機器全体について以下のような特徴を確認した.

まず,一高機器には,他の旧制高校旧蔵の機器に比べて,大型で高価なものが多い.校旗の中心に「国」の字がある(このため一高の校旗は「護国旗」と呼ばれる)といった点にも見られる特殊性からか,教育用の実験機器にも他の高等学校とは異なる配慮が払われたように思われる.また,顕微鏡類を除いてはほぼ一種類一件のみしか現存しておらず,このため,全体の数は少ないが機器の種類は多い.機器の多くは,教壇の上で行われる演示実験用か,あるいは教官が自分の研究に用いたものであったと推測される.さらに,製造・購入の時期は,明治中ごろから昭和の初めまでに及んでいる.古い時期の機器には,すでに一高の駒場への移転(1935年)以前には使われなくなっていたものもあるが,購入時の値段や希少性を知る心ある教師が,保存のために特別な措置をとったものと考えられる.一高の歴史や規模を考えると,現存する機器の数は極めて少ないが,三高や四高は経験しなかった,関東大震災,校舎移転,空襲などの苦難を経ながら,多くの機器が残された点に先人の配慮を感ずる.戦後は,教養学部でも先端の研究のための機器や空間が優先されるようになり,各教室に残されていたかもしれない一高旧蔵機器の大半は処分されたのではないかと思われる.それでも,現存の機器は,一号館の片隅に置かれて人目に触れることがなかったのが幸いしたのか,廃棄を免れ,自然科学博物館に引き継がれた.

珍しい実験機器

写真1 フーコーの回転鏡

一高旧蔵機器のなかには珍しいものが幾つもあるが,ここでは2点を選んで紹介する.写真1は「フーコーの回転鏡」と呼ばれる機器で,「フーコーの振り子」で知られるレオン・フーコー(1819年−1868年)が光の速度を測定するために発明した.機器の中央に小さな鏡があり,この鏡に遠方からレンズを通して像を映し,それをさらに凹面鏡で反射させると,鏡が静止している場合には,光はもとの路を光源まで戻る(レンズや凹面鏡は残されていない).しかし,鏡は風車のような部品につながれており,この部品は圧搾空気を吹き付けられて毎秒800回転する.このため,鏡で反射した光は光源から僅かにずれたところに戻ってくる.このずれから,光が光源を出てから戻ってくるまでの時間が計算できるので,これで光の通った距離を割れば光速が得られる.フーコーがこの機器を発明した当時,光が粒子であるか波動であるかをめぐる長い論争が続いていた.フーコーは,回転鏡を用いた実験によって,光速は水中よりも空気中の方が大きいことを明らかにし,この事実を光の波動説の証拠として発表した(1850年).次いで1862年,光路長約20 cmでずれが0.7 mmとなることから,光速は298,000 km/sであると算定した.実験の精度を決める要因の一つは,鏡の回転を一定に保つことであるが,フーコーは圧搾空気をサイレンに通して音を出し,その高さが一定になることで確認した.高さが一定になっているかどうかは,音叉の音との間でうなりをとって用いて確かめたと思われる.電子工学以前の時代にも,音や光を駆使して精密測定が行われていたのである.写真の機器はジュネーヴ製で,一高旧蔵品中で,スイス製であることが確定している唯一の機器である.19世紀末に輸入され,演示に用いられたと推測されるが,実際に生徒に光速を測定させた可能性もある.

写真2 音響分析機

写真2は「音響分析機」といい,音の周波数成分を可視化する機器である.幾つもある大小の金属管はケーニッヒの共鳴管と呼ばれ,それぞれに固有の共鳴周波数があり,特定の高さの音に共鳴して振動する.機器の端に見える細い管からはガスを燃料とする炎が出ており,これらの炎は共鳴管とも接続されている.ある音が鳴ると,音の種類に応じて特定の共鳴管が振動するが,振動している共鳴管と接続されている炎のみが振動する.音波の周波数成分ごとの表示,すなわちフーリエ展開をしていることになる.また,炎を横の直方体(それぞれの面に鏡が貼られていた)に映して観察し,直方体を回転させれば,振動の時間変化も確認できた.発明者のルドルフ・ケーニッヒ(1832年−1901年)は,この機器と同じ原理を用いて母音の分析を行っている.同様の機器が後に島津製作所によって製作・販売されているが,一高の機器はパリのケーニッヒ社製で,物品管理用の札などから,1890年頃に輸入されたものと判断される.

測れるもののみが科学の対象である

実験機器の現物が何よりも強く明らかにするのは,「測る」ことを可能にするための,多くの人々の努力の跡である.科学者が求める測定の対象や精度は,科学者の関心に応じて変化するが,何がどの精度で測定できるかは,決して科学者のみが決められるわけではない.科学者の要求に応ずるための実験機器産業は古くから存在していたが,利用できる技術そのものは,時代や地域ごとに異なり,産業や政治,時には軍事の動向にも左右されてきた.実験機器の一つ一つに,その時代や地域で利用できる技術を最大限に駆使して科学者の要求に応えようとした技術者や職人の工夫を見ることができるが,工夫を施した人々の名はほとんど知られていない.科学史上で注目を集めるのは第一に学説上の貢献であり,優れた実験もときに賞賛の対象にはなるが,その背後に多くの技術者や職人がいたことには大きな関心は向けられない.しかし,機器の現物を手にとってみれば,測定可能な対象のみが科学の対象となってきたことが強く意識され,様々な対象を測定可能にしてきた人々の工夫の跡に思いが及ぶ.

写真3 真空管の複製の製作

よほどの幸運に恵まれなければ,過去のある時期に,どのような技術でどのような機器製作が可能であったのかを明らかにするのは大変難しい.しかし,今回の調査ではそのような幸運に恵まれた.写真3は,1935年に理化学研究所が特許をとった油拡散型の真空ポンプの複製を製作する様子である.実物はいたみが激しかったため,共通技術室の平栗信義氏のご厚意に甘えて複製を作っていただいたが,すりあわせの部分以外は手作りで,戦前にはなかったガラス旋盤も使用せずに製作されている.いろいろな教員の方から,これだけの技術をもった方はほかには探すことはできないと伺うことが多い.機器の複製をお願いできるのみならず,何十年も前の技術者の苦労についてお話を伺える方が身近においでになるのは,機器の歴史を研究する上で大変心強い.

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