東京大学大学院総合文化研究科
広域科学専攻
生命環境科学系 広域システム科学系 相関基礎科学系

ミクロな力学によるマクロな非平衡状態の実現

相関基礎科学系 清水 明

身の回りの電気機器は,その内部の電気伝導体に電流が流れることで動作している.電源コードを抜けば電流が流れなくなるが,そのような状態を平衡状態という.電流が流れるのは電源コードを通じてエネルギーが供給されているからで,そのような状態を非平衡状態と呼ぶ.また,電気伝導体に一定の電流が流れているとき,電気伝導体は熱(ジュール熱)として外にエネルギーを放出しており,電源から供給されているエネルギーとで収支が釣り合った状態にある.非平衡状態についてはオームの法則のような様々な経験則が知られている.電気機器の設計は,そのような非平衡状態専用の法則を用いて行われている.

ミクロに見ると電流を運んでいるのは電子やイオンというミクロな粒子で,電流の正体は,非常に多数のミクロな粒子の流れである.ミクロな粒子は力学の物理法則に従って運動することが分かっているので,多数の電子やイオンの運動を力学を用いて理論的に追跡すれば,非平衡状態が現れ,非平衡状態の解析で使われている法則も導けるはずである.この一見すると当然に思える事が,実はいままで理論物理学ではできていなかったのである.というのは,電気伝導体に含まれるミクロな粒子の数はあまりにも膨大で,その運動も複雑なので,力学でそれらの運動を追いかけて非平衡状態を調べようとしても,まともな結果が得られなかったのである.

また,非平衡統計物理学を,近平衡領域を超えて拡張しようという試みが数多く成されている.その際の大きな困難のひとつは,非平衡状態で実際に何が起こっているかを調べることが難しいことにある.たとえば,局所平衡がどういうときに・どれだけ・どのように破れているかを見るのは,実験的にもきわめて難しいし,理論モデルによる分析も,現実の非平衡状態の本質的要素を削り取ってしまったようなモデルでしかできていなかった.特に電気伝導は,昔から非平衡統計物理学の中心的なテーマであったにもかかわらず,そのような分析が最も難しい現象と見なされていた.

そこで,相関基礎科学系清水研究室の修士課程の学生である弓削達郎と清水明は,物理工学科の伊藤伸泰氏と協力して,電気伝導における非平衡状態の本質的要素を全て取り入れた力学モデルを提案した[1].このモデルは,電荷の運び手となる粒子(電子やイオン)のほかに,ジュール熱を電気伝導体の外に運ぶ原子の振動の量子(フォノンと呼ばれる)と,系の空間的な均一性(並進対称性)を破る不純物と,これら全ての間の相互作用とを全て兼ね備えたモデルで,ミクロな力学に従って運動する.

そして,このモデルの分子動力学シミュレーションによって,初めて現実の電気伝導現象を再現することに成功した[1].すなわち,DC電場に対してきちんと定常状態が実現し,その応答は弱電場で線形で,強電場で非線形になる.たとえ2次元でも相関関数には(長い間統計物理学者を悩ませていた)ロングテールはなく,電気伝導度は系のサイズに依存しない.さらに,AC電場に対する線形応答を見ると,電気伝導度の実部と虚部の間に分散関係が成立し,揺動散逸定理(ジョンソン・ナイキストの定理);


gI(w)=2kBTRe[Y(ω)], (1)


が全ての周波数できちんと成立する(図1).ここで,左辺は平衡状態における電流揺らぎのスペクトル強度で,右辺のY(ω)は非平衡状態におけるACコンダクタンス,Tは温度,kBはボルツマン定数である.

図1:(1)式の左辺(○)と右辺(△)の比較.(文献[1]のFig.5から,有限区間フーリエ変換に起因する人為的な暴れを取り除いたもの.)

さらに我々は,このモデルを使って,局所平衡がどういうときに・どれだけ・どのように破れているか,ランジェバン記述が可能かどうか・不可能ならどのように修正すればいいかを調べている.さらに,電子溜に両端を接続された伝導体にまでモデルを拡張しつつあり,それを用いて,非平衡電流揺らぎ[2]について清水が提唱したスケーリング仮説[3]の検証などを行う予定である.なお,この研究の第一段階の成果を発表した論文[1]は,J. Phys. Soc. Jpn. の Papers of Editors' Choice に選ばれた.

参考文献

[1]T. Yuge, N. Ito and A. Shimizu, J. Phys. Soc. Jpn. 74, 1895 (2005).

[2]A. Shimizu and M. Ueda, Phys. Rev. Lett. 69, 1403 (1992).

[3]A. Shimizu, M. Ueda and H. Sakaki, Jpn. J. App. Phys. Series 9, 189 (1993).

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